ラブコミュニケーションは  エレガントに!

コミュニケーションから紐解いていく『進化論』。コミュニケーションには『愛』と『美学』と『品格』を!

コミュニケーションにおいて『コミュ力』は必要なのか。

『コミュ力』は必要!?

社会でよく求められる『コミュ力』。
経団連が2016年に実施した
「新卒採用に関するアンケート調査」でも、
「選考にあたって特に重視した点」として
最も多くの企業が選択したのは

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「コミュニケーション能力」  

この「コミュ力」が1位になるのはこれで13年連続。 

しかし!!!

 コミュニケーション = コミュ力 

に、とてつもなく違和感を感じてしまう。
特に、「これ!」と定義もできないコミュ力だが、
社会からものすごく求められているのも事実。  
その、得体のしれない『コミュ力』について考察してみた。

コミュニケーションって一体何!?

コミュニケーションとは何か、まずGoogle先生で検索。
そして、出てきたものは・・・

社会生活を営む人間の間で行われる
知覚・感情・思考の伝達。
(生物学)動物個体間での、
身振りや音声・匂い等による情報の伝達。
一般に「コミュニケーション」というのは、
情報の伝達だけが起きれば充分に成立したとは
見なされておらず、人間と人間の間で、
《意志の疎通》が行われたり、
《心や気持ちの通い合い》が行われたり、
《互いに理解し合う》ことが起きて、
はじめてコミュニケーションが成立した、
といった説明を補っているものもある

Wikipedia

要は、『お互いに理解しあう』がポイント。

では、コミュ力はどうだろう。

一般的なイメージで言うと

『言葉のキャッチボールがうまい』
『相手の懐にすぐに入ることができる』

と、いったことができる人を
コミュ力の高い人と認識していると思う。

このように見ていると、

 コミュニケーションができる人
 コミュ力の高い人

は、一概に同じとは言い切れないし、
むしろ、今、社会で求められているのは
本当にコミュ力の高い人なのだろうか。

『コミュ力』の高い能力者!は存在するのか。

日本人には、コミュ力の高い能力者は
差ほど多くは存在しないと推測。
もっと言えば、『コミュニケーション』を
得意とする人自体、少ないと思う。

その理由として、日本人の特性である
『集団好きの民族』
が、挙げられる。

結局のところ、 「お互いに理解しあう」よりも
「周りと同調してしまう」。

そんな結果になっていないだろうか。
自分の気持ちに蓋をして
周りと同調することを幼いころから強要される。
そして、大人になり求められるのは

『発想力・洞察力・転換力・・・』
  などの多岐にわたる複雑な『コミュ力』

これって、すごいよね(笑)

子供のころ、周りと違うことをしていると
ものすごく注意され、
「周りと同じ」が良いとされる教育なのに
社会に出たとたんに全く真逆のものを求められる。

そりゃ、全員が対応できないよ。

むしろ、『コミュ力の高い能力者』は
幼少期は異端児だった可能性さえある。
両親の教育方針が違った・・・とかね。

なので、今の教育の現状から考えて、
そもそも、コミュ力を求めること自体 間違っているのではないか。
と、いうよりも、
『コミュ力がない』と、
嘆く必要も一切ない。
だって、そんなこと教えられていないから。

求められるコミュニケーション

それでもさ、やっぱり、

『人間の進化にコミュニケーションは欠かせない』

コミュ力はなくても、   コミュニケーション = お互いに理解しあう
ことは可能だと思う。
そこに変なテクニックは一切必要ない。

あるのは、「自分の想い」「相手の想い」

たった、これだけだよね。

まずは、今まで蓋をしていた
自分の感情を開放してあげること。   そして、自分自身が何を求めているのか、
その繊細な変化に気が付いてあげること。

これが、大切だよね。

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